八重の桜 ロケ地
八重の桜で撮影に使われているロケ地をいくつか紹介していきたいと思います。
八重の桜のヒロイン・八重の故郷である福島を中心に、茨木や栃木も八重の桜のロケ地として使われたそうです。
まずは、「八重の桜」最初のロケ地として使われた、「福島県会津若松市」。
福島県での撮影は、八重の幼少期や八重の家族や友人とのシーンを撮影されたみたいです。
福島県のロケ地として、まず「鶴ヶ城」が挙げられます。
八重の桜の予告動画などにも使われたそうです。
そして、八重の桜のオープニングにでてくる大きな桜の木がある場所は、福島県会津若松市中島町にあるみたいです。
それから、桜色の傘を差している草原は猪苗代町営磐梯山牧場というところで撮影されたそうです。
他にも、会津藩校の日新館や会津武家屋敷などもロケ地と使用されたみたいですよ。
どの風景も情緒ある素晴らしい景色ですよね。
東北だけではなく、山口県萩市の町並みや萩城跡、桜田門外の変のロケ地として使われた東京の皇居外苑、ペリー来航の時には神奈川県横須賀の燈明崎などもロケ地として使われています。
大河ドラマは撮影期間が1年近くもかかるそうなので、もっとたくさんのロケ地を訪れるかもしれませんね。
どこかで、この八重の桜の撮影に出会えるかもしれませんね。
これから、八重の桜のロケ地を巡るツアーなどがどんどん出てきそうですね。
八重の桜を観るときに、使われているロケ地の歴史に目を向けながら観ていくのも面白いかもしれませんね。
八重の桜 吉田松陰
八重の桜で小栗旬さんが演じる吉田松陰について書いてみたいと思います。
吉田松陰は、山口県萩市に生まれます。
その自分の生まれた萩の町で「松下村塾」という塾を開きます。
有名な「高杉晋作」や、初代内閣総理大臣の「伊藤博文」などの幕末、維新に欠かすことの出来ない重要な人物たちを育て上げてきました。
吉田松陰たちの時代で言うと長州、現在の山口県ですが、優秀な方がたくさんいたんですね。
山口県出身の私としては、とても嬉しい限りです。
吉田松陰が、塾生に教えた期間はたったの2年間と言われています。
その2年間で塾生たちは、吉田松陰からたくさんの影響を受け大きく羽ばたいて行ったのです。
吉田松陰は、たくさんの名言を残していますが、塾生に送った言葉の一つに「飛耳長目(ひじちょうもく)」という言葉があります。この言葉は、「じっとしていてはダメ。耳を遠くに傾け、遠くを見て色々の情報を集めていくことが、生きていくことには大切だ。」という意味です。
この言葉通りに、吉田松陰はペリーが来航した時に密航しようとします。
自分の志に忠実に行動する。
吉田松陰の勇気や行動力は凄いですよね。
だからこそ、この時代、吉田松陰の事ことを疎ましく思う人たちもたくさんいたでしょうね。
吉田松陰は29歳という若さで処刑されてしまいます。
八重の桜の第5話の吉田松陰が処刑される直前に言った言葉。
「ただ身一つで立ち上げれば良い」
「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」
この言葉の意味は、「藩も県も関係ない、ただ一人でも立ち上がれ」
「誠を尽くせば動かせないものなど無い」という意味です。
今の時代に通じるものがありますね。
八重の桜の中で、幕末を逞しく生きる人たちから、たくさん学ぶことがありそうですね。
八重の桜ますます楽しみになってきました。