「八重の桜 」 一覧
八重の桜 同志社
八重の桜で八重が2回目の結婚する夫「新島襄」は同志社大学の創設者なのです。
これを知った時驚きました。どれだけ八重っていう人は有名になる要素がいっぱいあるんだろうと思ってしまいましたよ。笑
八重の桜でも描かれてきましたが凄まじい人生ですよね。
少しずつ抜粋しながら紹介していきます。
まず幕末のジャンヌダルクとして戊辰戦争で籠城戦にて女性なのに砲術に長けてスペンサー銃を使い活躍した女性として有名ですよね。
ここで砲術に興味を持って戦争で戦うというのが常識では計れないですよね。
そのあと同志社大学創設者、新島襄と結婚しあまりに対等な関係を築いた二人の関係は当時の男尊女卑の観点から悪妻と呼ばれました。
しかし今となっては対等な夫婦関係など普通のことですよね。
同志社大学の創設者ってのももちろん凄いことだと思いますけど和洋折衷の文化を取り入れた何気ない生活の一つ一つも先駆者みたいな人だなと思えます。
そして新島襄の亡き後も日清・日露戦争にて従軍の看護師として活躍しました。
その姿は日本のナイチンゲールと呼ばれるほどでした。
何をやるにも徹底的な人だったんだなと個人的に思いました。憧れますね。
なるほど。大河ドラマ八重の桜で描かれるにふさわしい女性ですよね。笑
同志社大学の公式サイトの中に「新島八重と同志社」というサイトが作られていました。
それを参照にするとより八重の桜についても詳しく知ることが出来ると思うので興味のある方は是非。
八重の桜 秋月
八重の桜に出てくる会津藩士の一人秋月悌次郎に注目してみました。
八重の桜を見ていても分かることなのですが、会津藩士の中には特別優秀な人が多く、個性的な面々が揃っていますよね。
秋月悌次郎、山本覚馬、新保修理、山川大蔵この4人は特別優秀と言われています。
今回は会津藩士の中でも交渉役として活躍した北山有起哉さん演じるこの秋月悌次郎とはどういう人物なのか紹介しようと思います。
まだ八重の桜で描かれていない部分に触れるので見たくない人は気をつけて下さいね。
秋月さんは下級武士の出身です。
藩校・日新館に学び、幕府直轄の昌平坂学問所では書生寮の舎長を務め、九州など西国諸藩の各地を巡り歩きます。京都守護職では公用方に任命され、その実力が買われ諸藩との交渉に当たることになります。
八月十八日の政変のきっかけを作ったのも秋月さんでさらに、長州勢力を駆逐した薩摩との間に結ばれた薩会同盟の立役者にもなるのですが、これが原因で周りから妬まれ一時は蝦夷代官として蝦夷に左遷されてしまいます。
この蝦夷代官というのは昔でいう重罪人の流刑地の監視や送致などの役目をすることです。
戊辰戦争の時には新保修理の後継として軍事奉行添役を務めるなどしていましたが、戦場では主に裏方として活躍していました。
降伏の際にも和平の使者を務め、会津の未来を白虎隊たちに託して一線を退きます。
八重の桜でも秋月と覚馬がお互いの才能を認め合うような話がありますが、会津にいる人達は本当に優秀な人達が多く、なぜこんな悲劇の歴史を辿ったのか不思議なほどです。