「坂本龍馬 」 一覧
高知 八重の桜 坂本龍馬
高知出身、八重の桜に後ろ姿にて出演した坂本龍馬。
そう、彼は高知出身だったのです。
坂本龍馬は、元土佐藩士です。土佐とは、土佐国といい、現在の高知県です。
藩庁は、高知城、現在の高知市にあったようですよ。
八重の桜にとって土佐藩とは、なんでしょうね。
会津藩と違い、土佐藩は徳川家をよく思っていません。
ですから、脱藩する者がいたようです。
しかし、恩がある為、徳川家に刃を剥くようなことはしたくはない。というのが土佐藩の見解です。そこで、無血開城を願う大政奉還策が出てきたわけですね。
八重の桜での、主役は八重であり、八重のお家は会津藩です。
会津藩は、徳川家を必死に守ろうと忠義を誓います。
結果、会津藩にはあまりよろしくない未来が待っています。
坂本龍馬を暗殺したのも会津藩です。そこはあまり関係してこないかもしれませんが、坂本龍馬を慕っていた人にとっては少なからず妬みのもとにはなったでしょう。
高知県という遠い場所にある、土佐藩。そこに属していた坂本龍馬が江戸に渡り、千葉周作により北辰一刀流を学び、脱藩し、勝海舟と弟子になり、脱藩の罪が許され帰国の知らせが来たにも関わらずそれに背き、また脱藩。
八重の桜では、さして情報が得られなかった坂本龍馬ではありますが、その人生は知っていて損はないものと思います。
私は、これを機会に、より坂本龍馬が好きになりました。八重の桜では名前すら表現されなかったけれども、坂本龍馬が生きた道は誇れるものだっだと思いますね。
八重の桜 坂本龍馬 画像
八重の桜では、顔すら映してもらえなかった坂本龍馬の画像ですが、八重の桜とは違い、史実では、坂本龍馬の画像は広く出回っております。
当時の世に写真というものは存在したんですね。
ですから、今現在も、画像として存在しており、教科書などにも掲載されています。
史実上の人物の画像が残っているのは、そうありません。
坂本龍馬の画像で有名なのは懐に手を入れ毅然と立っている画像ではないでしょうか。
しかも坂本龍馬は月代もなく髷でもない上方でした。
そして、天然パーマだったのでしょうかね。
坂本龍馬独特の髪型をしています。
私の中で武士とは、月代があり、髷がある、髪型が定番です。
しかし、明治になり、洋服が出回るようになると、この髪型をする人は少なくなり、のちにこの髪型が消えていきます。
それは何故か、兜をかぶる必要がなくなったからです。
月代とは、武将が、兜をかぶった時にのぼせが上がるのを伏せぶためのものだそうです。
そして、髷は兜のずれを防ぐのに役立ったようです。
ちゃんと考えられたか髪型だったのですね。
八重の桜では、あまり登場しなかった坂本龍馬ですが、史実では、坂本龍馬は最新の髪型だったのかもしれませんね。この髪型でしたら洋服を着ても変ではありません。
残念なことに、洋服を着る間もなく暗殺されてしまいましたが。
八重の桜でも、袴や着物ではなく、洋服を着る時が来るのでしょうね。
これから、どんな服装が出てくるのか楽しみですね。