「坂本龍馬 」 一覧
八重の桜 坂本龍馬 年表
八重の桜では、背中だけの出演だった坂本龍馬が歩んだ年表を読んでみました。
これが、坂本龍馬が歩んだ人生だったのかと感服しました。
八重の桜では、あまり表現されなかった坂本龍馬ではありますが、その人生は、容易ではなかったように思います。
龍馬が生まれたのは1835年です。そこから亡くなるまでの短い31年間。
平穏という言葉は、少なかったように思いました。
1853年、坂本龍馬は、18歳になったころでしょうか。
北辰一刀流を習得すべく、千葉周作の道場に入門します。
その5年後である、1858年に北辰一刀流の免許を受けています。
免許取得までに5年かかったわけですね。
それから、土佐藩を脱藩し、勝海舟の弟子になり、脱藩の罪を許されるが、帰国の名に従わずまた脱藩したりします。
こうして年表を見ていても、結構波乱ですよね。
流れに従うことを好まないのか、自分自身の中に流れがあるのか定かではありませんが、土佐藩に従っていなかったのは確かですね。
八重の桜でも、元土佐藩士と言われたくらいですし。
それから、薩長同盟が成立したり、ユニオン号にて幕長戦争に参戦したり、年表はさらに荒波にのっていきます。
坂本龍馬の生涯を綴る年表には、まさに「波乱」の言葉しかありません。
その波は沈むことなく、波にのまれ、31歳という若さでこの世を去ります。
坂本龍馬に限らず、八重の桜の主人公である八重の人生もまた波乱に満ち、生涯戦い続けたまさにジャンヌダルクのような一生だったと思います。
八重の桜 坂本龍馬 暗殺者
八重の桜では、坂本龍馬の暗殺者について詳しく語られませんでした。
坂本龍馬は、誰に暗殺されたのか。
八重の桜ではあまり、詳しくわからなかったので、調べてみました。
坂本龍馬、暗殺者説には多数候補者がいるようですね。
新選組だったり、会津藩士だったり、その通説は、沢山あります。
そして、もっとも有力とされる暗殺者候補は、見回り組である佐々木只三郎である。
佐々木只三郎とされるまえには、新撰組隊士である、大石鍬次郎が暗殺をしたと自白していることもあるが、のちに撤回されています。
佐々木只三郎とは、小太刀日本一と称されるほどの腕の持ち主であり、会津藩士・佐々木源八の三男だったとされています。
この京都見回り組藩士である、佐々木只三郎が暗殺者であり、坂本龍馬は命を落としたようです。
結果的には、会津藩士なわけですね。
なぜ、会津藩士によるものなのに、八重の桜は重要視しなかったのか!?
まぁ八重にはあまりかかわりがないからでしょうけれどもね。
坂本龍馬と八重の間に関係性はさほどないでしょうけれども、史実では、重要視されたはずなんですけどね、坂本龍馬暗殺。
八重の桜は、八重の生涯というだけあって、八重に関係性がある人物が重要視されています。八重にというか、兄である、覚馬に関係性があると言いますかなんというか。
これから、八重の桜どこまで描かれるのでしょうか。
八重が生涯を終えるまで、描かれるのでしょうか、これから八重の活躍が描かれるわけです。楽しみですね。