「八重の桜 坂本龍馬 」 一覧
八重の桜 坂本龍馬 画像
八重の桜では、顔すら映してもらえなかった坂本龍馬の画像ですが、八重の桜とは違い、史実では、坂本龍馬の画像は広く出回っております。
当時の世に写真というものは存在したんですね。
ですから、今現在も、画像として存在しており、教科書などにも掲載されています。
史実上の人物の画像が残っているのは、そうありません。
坂本龍馬の画像で有名なのは懐に手を入れ毅然と立っている画像ではないでしょうか。
しかも坂本龍馬は月代もなく髷でもない上方でした。
そして、天然パーマだったのでしょうかね。
坂本龍馬独特の髪型をしています。
私の中で武士とは、月代があり、髷がある、髪型が定番です。
しかし、明治になり、洋服が出回るようになると、この髪型をする人は少なくなり、のちにこの髪型が消えていきます。
それは何故か、兜をかぶる必要がなくなったからです。
月代とは、武将が、兜をかぶった時にのぼせが上がるのを伏せぶためのものだそうです。
そして、髷は兜のずれを防ぐのに役立ったようです。
ちゃんと考えられたか髪型だったのですね。
八重の桜では、あまり登場しなかった坂本龍馬ですが、史実では、坂本龍馬は最新の髪型だったのかもしれませんね。この髪型でしたら洋服を着ても変ではありません。
残念なことに、洋服を着る間もなく暗殺されてしまいましたが。
八重の桜でも、袴や着物ではなく、洋服を着る時が来るのでしょうね。
これから、どんな服装が出てくるのか楽しみですね。
八重の桜 坂本龍馬暗殺 桂
八重の桜には、後ろ姿だけの出演だった坂本龍馬暗殺について、桂という名前があがってきています。
しかし、この桂。桂といっても長州藩のリーダー桂小五郎のことではありません。
八重の桜では、坂本龍馬暗殺について、さほど触れていませんが、八重の桜とは違い、史実では、この坂本龍馬暗殺は、とても重要だったと思います。
八重の桜17回にて、坂本龍馬が暗殺されなければ・・・と思う未来もあったはず。
そんな坂本龍馬暗殺ですが、当時は、新選組による暗殺という見解が第一だったのですが、そのため、捕縛された近藤勇は、土佐藩士による強い願いにより切腹ではなく、無残にも斬首されたのです。
そののち、函館戦争にて、降伏しました見回り組によるものだったと判明します。
つまり、新選組ではなかったということです。近藤勇は斬首ではなく、切腹できたかもしれないのです。このころの武士にとって斬首とは、それは情けないものだったと思います。
近藤勇は農民の出ゆえ。真の武士より武士らしい武士を目指していました。
だからこそ、武士らしく切腹にて、この世を去りたかったと思います。
それを見ていた、土方歳三もまた、とても悔しい想いをしたのではないかと痛感します。
近藤勇を誰より慕っていたのは、土方歳三であり、この土方歳三もまた真の武士より武士らしく生きたかった人物だったからです。
そんな悲劇を巻き起こした、坂本龍馬暗殺ですが、首謀者は、佐々木只三郎です、その部下に、桂の名前がありました。桂隼之助、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、土肥伴蔵・桜井大三郎など6人による坂本龍馬暗殺だったようです。